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事故体験記の裏話①

  • 執筆者の写真: Kyo
    Kyo
  • 2021年3月24日
  • 読了時間: 4分

更新日:2021年9月12日

石川さんは当サイトでストーリーという事故体験記を書いています。

事故の当日から両足切断に至るまで…現在6話目。今回は対談形式でその裏側を聞いてみました。



インタビュアー(以下Q):「事故の記憶を振り返り、それを実際に文字に起こすのはどうですか?」


石川(以下A):「そうですねぇ…。意外と覚えているものです。あとは、思い出す度に眠れなくなります。事故でいろんなことが一瞬に起こって、思い出すのを脳が拒絶しているのかなぁと思います。」


Q: 「一番書いていてしんどかったのはどの話ですか?」


A: 「事故の瞬間と、あとは破傷風のことですね。強烈に記憶に残っていて、事あるごとに思い出しますね。ふとしたときに、また破傷風になったらどうしようと思うことがあります。トラウマなんでしょうね。」


Q: 「壮絶でしたよね。私はてっきり、事故の瞬間に両足が切断されちゃった…みたいなのを想像していたので、実際はそんな単純ではなかったのでとても驚きました。」


A: 「確かに足を切ったことも破傷風も痛いしつらかったのですが、実は最も辛いのはこのあとなんです。回復途上で体の反応がでたり、さらに病気にかかったり。」


Q: 「もっとつらいことが起こるなんて…。6話で『僕は死に近づいていた。』と書かれていますが、事故直後にも死を意識しましたか?」


A: 「それが不思議と、事故直後は死ぬとは思いませんでした。だからそのとき死んでいたら、ある意味楽だったのかもしれませんね。」


Q: 「臨死体験もされていますよね。臨死体験は、6話の破傷風のときが最初で最後ですか?」


A: 「そうですね。何言ってんだと思われるかもしれませんが、臨死体験をしたとき匂いとか温度とかをはっきり感じました。本当に肌が光に包まれている感覚でした。臨死体験は、死にそうになったとき脳内の快楽物質かなにかが分泌されて、脳がみさせるものだと僕は思います。でも、この感覚が現実体験だと思わせるエピソードもあるんです。6話でも書きましたが、天井から自分や家族・医療者をみていて、誰が入ってきてどこに居たかとか、はっきり分かっていたんです。後日それを先生に話すと「意識がなかったのに何で?説明できるはずがない」とびっくりされました。」


Q: 「証明できないものなので、体験した人にしか分からないものなんでしょうね。この事故体験を書く目的みたいなものはありますか?」


A: 「こういう出来事が起きたということを、自分で何かに残しておきたかったんです。もともとノートに書いていたものを、インターネットが発達したのをきっかけにここに書いています。そして、それを知りたいと思っている誰かに届けばいいなと思うので、なるべく脚色せずノンフィクションで書くことを意識しています。」


Q: 「一番読まれている記事は、2話の『事故の瞬間』とのことですが。」


A :「予想していた通りです。何か大きい出来事に人は興味をもちますよね。それは花火と一緒で、みんな花火が打ち上がる瞬間を見たくて、あとは余韻を楽しむってだけで。だから事故の瞬間が一番見られるのは当然だと思っています。一方で、楽曲をサビではなくてAメロBメロが好きって人も中にはいるので、万人受けはしなくても起きた出来事はちゃんと書いていこうと思います。だからといってダラダラ書くつもりはありません。」


Q: 「今後はどんなストーリーになっていきますか?」


A: 「決していい方向には向かわず、いくつもの山を越えます。治ってからは、足をなくした事実に向き合っていく…いわば障害受容をどうしていくか、というところに入っていきます。身体の回復と心の変化ですね。」


Q: 「楽しみにしています。最後に読んでいる会員の方々へ、ひとことお願いします。」


A: 「ストーリーを読んで、なんでもいいから感想を持って欲しいです。バカじゃないかこいつとか、私は両足を失いたくないなとか、批判的な感想でもなんでもいいです。それらは僕がストーリーを書く動力にもなります。とくに、すでに足を切った人ではなくて、健常者にとってこのストーリーが入り口になれば尚いいなぁと思います。切断者を知るきっかけになれば。」


ストーリーの更新をお楽しみに。今後もまだまだ続きます。

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