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義足で歩いていたら宗教勧誘された話

更新日:2021年7月28日

僕は義足で散歩をするのが趣味です。

場所はだいたい公園や広場で、晴れていてあたたかい気温の日・時間帯を選んでいます。

それゆえに、大人から子供まで多くの人がいる中歩いています。


義足で歩いていると、いい意味でも悪い意味でも好奇な目を向けられます。話しかけられることもしばしば。

「ロボットみたい」「すごいわね。応援しています。」「頑張って!」などなど。

立って休憩していると「何か手伝えることはありますか?」と、親切に声をかけてくれた人もいました。


そんなほのぼのした思い出だけではなく、歩いていると本当に色んな出来事が起こります。タイトルの通り、義足で歩いていたら宗教に勧誘されました。

今回は宗教と障害者というテーマも交え、お話しします。



ある日、自宅の前を義足で歩いていたところ男女に声をかけられました。

二人は夫婦で、以前にも僕を見かけていたとのことで、再び会えて嬉しい!と興奮されていました。僕はお礼を述べて自宅に戻りました。


数日後、自宅に宗教勧誘の訪問がありました。とくに気にも留めませんでしたが、その翌日、声をかけられた夫婦から大量の特産品が届き、そこに宗教のパンフレットが同封されていたのです。


近所にその宗教の会館があるので、おそらく集会があった帰りに偶然僕を見つけて、勧誘しようと思いついたのでしょう。僕はあいにく無宗教で、その宗教に入信したい気持ちはこれっぽっちもなかったので、そっとスルーして現在に至ります。



日本人にとっての宗教とは如何なるものか。

僕は無宗教で信仰心もありませんが、参拝や墓参りなどは普通にしています。なので宗教や信仰そのものを否定するつもりはありません。


ですが、日本の宗教団体やそれに属する信者たちの信頼度は、僕の中でとても低いものです。今回の件を受けてさらに信頼度は低くなり、宗教や信者とはあまり関わりたくないと思いました。


勧誘する側もとい信者らは「この宗教に入れば・信仰すれば・祈れば、救われる」と信じて疑わない訳です。入信者を増やすことで彼らの地位が上がったり、彼らに金銭が授与されたりするのかもしれません。

勧誘がどんな目的であれ、僕が義足で歩いていなかったら、僕が障害者じゃなかったら、彼らは絶対に声をかけたり宗教に勧誘したりしなかったはずです。

障害者は社会的弱者で不幸だから、信者になるとでも思っているんでしょうが、それは間違いです。


障害者に不幸せのレッテルを貼るのはやめてください。

少なくとも僕は切断者であり障害者ですが、今充実しているし幸せです。

何かに祈っても足は生えてこないし、歩けるようにはなりません。結局のところ、本人の努力に尽きると僕は思います。


蛇足ですが(足だけに)、儲かるという漢字は信者と書きます。面白いですよね。


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