義足で歩いていたら宗教勧誘された話
- Shinji Ishikawa
- 2021年3月17日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年7月28日
僕は義足で散歩をするのが趣味です。
場所はだいたい公園や広場で、晴れていてあたたかい気温の日・時間帯を選んでいます。
それゆえに、大人から子供まで多くの人がいる中歩いています。
義足で歩いていると、いい意味でも悪い意味でも好奇な目を向けられます。話しかけられることもしばしば。
「ロボットみたい」「すごいわね。応援しています。」「頑張って!」などなど。
立って休憩していると「何か手伝えることはありますか?」と、親切に声をかけてくれた人もいました。
そんなほのぼのした思い出だけではなく、歩いていると本当に色んな出来事が起こります。タイトルの通り、義足で歩いていたら宗教に勧誘されました。
今回は宗教と障害者というテーマも交え、お話しします。
ある日、自宅の前を義足で歩いていたところ男女に声をかけられました。
二人は夫婦で、以前にも僕を見かけていたとのことで、再び会えて嬉しい!と興奮されていました。僕はお礼を述べて自宅に戻りました。
数日後、自宅に宗教勧誘の訪問がありました。とくに気にも留めませんでしたが、その翌日、声をかけられた夫婦から大量の特産品が届き、そこに宗教のパンフレットが同封されていたのです。
近所にその宗教の会館があるので、おそらく集会があった帰りに偶然僕を見つけて、勧誘しようと思いついたのでしょう。僕はあいにく無宗教で、その宗教に入信したい気持ちはこれっぽっちもなかったので、そっとスルーして現在に至ります。
日本人にとっての宗教とは如何なるものか。
僕は無宗教で信仰心もありませんが、参拝や墓参りなどは普通にしています。なので宗教や信仰そのものを否定するつもりはありません。
ですが、日本の宗教団体やそれに属する信者たちの信頼度は、僕の中でとても低いものです。今回の件を受けてさらに信頼度は低くなり、宗教や信者とはあまり関わりたくないと思いました。
勧誘する側もとい信者らは「この宗教に入れば・信仰すれば・祈れば、救われる」と信じて疑わない訳です。入信者を増やすことで彼らの地位が上がったり、彼らに金銭が授与されたりするのかもしれません。
勧誘がどんな目的であれ、僕が義足で歩いていなかったら、僕が障害者じゃなかったら、彼らは絶対に声をかけたり宗教に勧誘したりしなかったはずです。
障害者は社会的弱者で不幸だから、信者になるとでも思っているんでしょうが、それは間違いです。
障害者に不幸せのレッテルを貼るのはやめてください。
少なくとも僕は切断者であり障害者ですが、今充実しているし幸せです。
何かに祈っても足は生えてこないし、歩けるようにはなりません。結局のところ、本人の努力に尽きると僕は思います。
蛇足ですが(足だけに)、儲かるという漢字は信者と書きます。面白いですよね。
Comments