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義足で歩む人生

更新日:2021年7月11日


僕はこれまで義足歩行に挑戦し、2度失敗しています。そこから24年目に再度挑戦し、歩くことができました。歩けたとはいっても、リハビリを挑む前に描いていたゴールとはかけ離れています。


リハビリ前は”義足でいろんなことができる”という理想を抱いていました。

一日中ずっと義足を履いていられると思っていたし、両足ともにコンピュータ制御膝継手をつけていて、杖なしで歩けると思っていました。また、コンピュータ付の膝なんだから階段も普通に上り下りできるだろうとも思っていました。

切断者や義足のことをよく知らない人、よく知っている人でさえも「なぜそれらができないんだろう?」と思っている方がいらっしゃるかもしれません。


実際は、そんなふうに上手くはいきません。

「片足が残っているかどうか」そして「残っている断端が長いかどうか」という、義足歩行獲得に重要な2つの条件は、僕には当てはまりませんでした。

両足がないうえに断端がとても短い僕にとって、義足歩行は難易度が高く成功率が低いと言われました。




車椅子で歩む人生という記事で、車椅子のメリットデメリットを書きましたが、今回は車椅子と比べたときの義足の良い点と悪い点をまとめました。


良い点

・身体によい→代謝促進、食欲増進、安眠、腰痛緩和、拘縮予防など

・心によい→歩くことで気分転換になる、達成感や充足感を得られる

・目線が高くなる→高いところに手が届く、眺めがよい、人と並んで歩ける

・人の視線が気にならない→車椅子だと人の視線が気になる

・人を欺ける→切断者と気づかれにくい

・車椅子では行けないところが行ける→狭いところ、手すりのある階段、砂利道


悪い点/大変なところ

・総じてつらい

・疲れる

・怖い→転倒による怪我の危険性大、見守りが必要

・長時間履いていられない→両足義足というだけでなく僕の左義足が特殊なため。長時間座っていられない、楽にご飯が食べられない(食べるけど)

・速度が遅い、小回りがきかない

・重い

・日によって痛い→負傷することもある

・不快→汗、暑さ、義足の装着感、酸欠、脱水、低血糖になる時もある

・脳が疲れる→常に頭をつかうことでボーっとする

・筋肉痛になる

・過度な歩行後は高熱をだすこともある


これらは僕の切断・義足の条件での感想ですが、両足切断者は基本的に当てはまると思います。片足切断者でも共感できると思いますが、片足があるだけ、断端が長いだけ、共感しにくくなることでしょう。基礎疾患や合併症、年齢によっても程度は異なります。

こういう記事を書くと、「そんなことはない。だって私の場合は……」と指摘を受けることがあるのですが、じゃあそれ両足極短断端になっても同じこと言えるの?と反論したくなります。すべてを否定的に捉えるのではなく、相手の立場になって想像していただけたら幸いです。



できるならば、車椅子ではなくすべてを義足で生活してみたかったです。

一日中義足を履いて過ごしたり、仕事をしてみたかった。


3度目のリハビリで”義足歩行を獲得した”とはいえ、普段は車椅子という選択をせざるを得なかったのは、上記の悪い面すべてが原因です。

リハビリをしていくうちに現実のゴールが見えはじめたとき、「自分はこの程度か・・・」と落胆しました。思い描いていた理想のゴールとかけ離れていても、こんな身体的な条件で”歩けるようになっただけ奇跡”らしいので、今度はその現実を受容していくのに時間を要しました。


僕はいろんな人に、「あなたが両足を切断したら歩きたいと思う?」と尋ねています。

(記事はこちら→対談シリーズ:1人目/2人目/3人目/4人目/5人目


歩く!と明るく即答する人は、両足切断者の未来や苦悩を本質まで理解できておらず、そもそも”両足切断者になった自分”を想像すらできないのではないかなぁと感じます。(決してそう答えた人を非難しているわけではありません。)


対談シリーズ4人目のGisokuReysolさんが「私は生きていくのが耐えられないと思います。歩くか歩かないかではなく、生きるか生きないかのレベルでしんどいですね。」と声を詰まらせていて、すごく生々しい答えだなぁと思いました。

両足を膝上で切断したあと、生きるという選択も義足で歩くという選択もそう簡単なことではありません。

義足歩行を獲得したいのなら、文字通り血反吐がでるほど努力しなければなりません。


これを読んでいる人の中に、歩くのを諦めた方がいらっしゃるかもしれません。

仕方のないことと割り切るのに時間はかかるかもしれませんが、そもそも生きているだけでもしんどいのだから、どの選択をしたとしても何も間違ってはいないし、何も恥ずべきことはありません。



僕はいま、車椅子と義足の「両刀使い」もとい「二足の草鞋」です。

義足で歩いた軌跡という記事でも、「大変な思いをしてまでなぜ義足を履いて歩いているのか?」という点に少し触れています。


僕が義足で歩く理由?


それは自分の尊厳を取り戻すためです。


陽の光や風や草木の匂いを感じながら歩いていると、何とも言えない充足感に満たされます。生きていることやその価値を実感し、人間としての尊厳を取り戻すことができるのです。


僕は、これからも義足とともに人生を歩んでいきます。




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